当選番号
2021-01-20
おはようございます。
2回目の緊急事態宣言が1都3県に発令されまして更に自粛、予防に努めております。
毎年、ご縁をいただいた方々からいただいた年賀はがきと当選番号とのにらみ合いをしております。
100万分の1の一等当選を期待してはおりましたが結果は・・・切手シート6枚でした。
年賀状をいただき始めて長いのですが、なかなか当たらないものですねぇ。
あるお寺の高僧が1枚のちり紙を拾い上げて跪き「勿体ない、勿体ない」と嘆いていました。
弟子たちはその様子を見て高僧に「なぜ、たった1枚のちり紙にそこまでなさるのですか?」と聞きました。
すると高僧は「一切衆生悉仏性(いっさい しゅじょう しつ う ぶっしょう)」と仰ったと言います。
このお経文は涅槃経というお経文に出てまいります。
意味は万物に仏になる性質が備わっているという事です。
ちり紙1枚にも仏性が備わっていて尊い存在だからこそ高僧はそのように仰ったのです。
俄かに信じられない事です。
ちり紙で汚れを拭う事はできますが、鉛筆にはできませんね。
汚れを目の前にして何も持っていない時、ちり紙1枚見つけたらどうでしょう?
もの凄いお腹が減っている時に豪華なお弁当を前にして箸がなかったらどうでしょう?
ちり紙も箸も尊いと思いませんか?
本当は全てのもが尊い存在なのです。
残念ながら100万分の1には漏れてしまいましたが、私という存在は72憶分の1の尊い存在。
1等が当たらなくても、「ま、いっか」と思えて来ました。
合 掌

本年も宜しくお願い致します
2021-01-01
本年も宜しくお願い申し上げます。
いつもの口癖で参拝の方々に「明けましておめでとうございます」と言っているのですが、
本日お見えになった方に「うちは喪中でおめでたくないんです」と言われてしまいました。
口癖というものは怖いものですね。更に言葉とは怖いもので一度口から出してしまったら
無かった事にはできないもの。
日蓮大聖人のお言葉の中に
「災いは口より出でて身をやぶる。幸いは心より出て我を飾る」とあります。
言葉によって人を傷つける事もできるし、喜ばせる事もできる。
本年はウシ年ですね。漢字にすると「丑」と書きます。
「紐」という意味から転じて絡まるという意味だそうです。
コロナ禍で人と距離をとらなければいけない現状ですから特に言葉が重要になってくるように思います。
相手を喜ばせたり、楽しませるような言葉を心がけて生きたいですね。
合掌

サンタがきた
2020-12-26
昨日、我が家にサンタクロースがきました。子供達はプレゼンとを見るなりキレイに包装された包装紙を破り捨て
中身を取り出してみると前から欲しがっていたおもちゃ。「サンタさんが来た」と大喜びでした。
始めはおもちゃに夢中でしたが時間が経つとほったらしになり、古いおもちゃの仲間入り。
あの数分はなんだったのか?と夢を見ているようです。
でも、子供が喜ぶ姿は親として嬉しい限りです。
大人になってもプレゼントというものは嬉しいものですね。
キレイな包装紙にリボンが付いている様を見るだけで中身を見なくてもワクワクしますね。
誰かの手で作られた物を誰かがキレイに包んで、友人、知人が自分に届けてくれている。
届く間に色々な人の手と思いに触れて私達に届くからこんなにもワクワクするんでしょうかね?
そんな事を感じさせていただきましたので、嫌われる勇気を持って子供達を躾させていただきました。
合 掌

鼻水と甘酒
2020-12-15
おはようございます。
小噺を一つ申し上げたいと思います。
ある山寺のお檀家さんで、おじいさんとおばあさんの二人きりで暮らしている家がありました。
ある日、おじいさんが亡くなりました。
おばあさんは、お葬儀を済ませ、しばらく経って初七日の前日、ご住職にご供養のお願をしました。
「お上人、明日はおじいさんの初七日でございますので、ご供養を一つお願いしたい」
「お昼には何もございませんが、お食事を差し上げたいと思いますので、宜しくお願いします。」
翌日、住職はおじいさんの為に自宅でお経をあげました。
一生懸命、お経をあげておりますと、ご飯の炊きあがった良い香りがしてきました。
香りに誘われて、ちょっと横を見ますと、おばあさんがお釜から、オヒツに炊き上がったご飯を移しております。
おばあさんは少し風邪気味なのか鼻をすすっておりましたが、ご飯の湯気がぱあーっと上がった途端、おばあさんの
鼻からツゥーっと鼻水がご飯に落ちていきました。
それを見た住職は「これは困ったことだ」とお経を終えると
「おばあさんや、悪いけど、さっきから急に腹が痛くてね。折角で悪いけども、今日のところは帰りますから」
とおばあさんを後にします。
「あぶない、あぶない。あの鼻水入りのご飯を食べずに済んだ。やれやれ」とお寺に帰っていきました。
それから、二七日、三七日と過ぎていき、いよいよ四十九日になりました。
「いよいよ、明日はおじいさんの四十九日です。どうかお経をお願いします」とおばあさん。
あくる日、無事おじいさんのご供養が終わり、おばあさんがお盆に大きな湯のみ茶碗を載せて持ってきました。
「何もございませんが、お上人さんの大好きな甘酒を造りましたので、一杯お召し上がりください。」
「ありがとう。わしの大好物の甘酒を」とご住職さん喜んで一気に飲み干しました。
「おいしいなあ。おばあさんや。ところでこの甘酒はどうやってこしらえたんだい?」
「はい。実は初七日の時にお上人にご飯を差し上げようかと思いましたが、お腹が痛くてお帰りになられましたので何しろ、1人所帯でございます。ご飯が余りましたので、そのご飯で造りました甘酒でございます」
あの初七日に逃れたはずの鼻水との縁は四十九日目に形を変えてご住職のお腹と縁を結んだのでありました。
好む好まないに関係なく、私達は「縁」によって生かされているのでございます。
合 掌

大きいね
2020-12-01
おはようございます。いよいよ師走に入りましたね。
一年って早いものですね。小さい頃はお正月や夏休みが待ち遠しくて仕方がなかったのですが年齢と共に
早く感じます。
一日一日大切に生きろと仏様が教えてくれている気がしますね。
先日、携帯の中を整理する為に必要なさそうなアプリ等バンバン削除しました。
その最中、懐かしいアプリを見つけました。
それは「授乳ノート」というアプリです。
これは赤ちゃんの授乳やオムツ交換などの回数を記録しておくアプリです。
長男が1歳になるまでの間、妻と協力して記録したものです。
そろそろ寝る時間なのに寝ない焦り。夜泣きで起こされてイライラ。
離乳食ひっくり返され激怒。寝顔をみて「怒るんじゃなかった」と反省などなど
色々、思い出します。
授乳回数 2060回
オムツ交換 3058回
沐 浴 370回
という数字を見ますと「親って大変だな」と思いました。
でも、自分もそうやって親や周りの人達の手を煩わせて生きてきたわけですよね。
命って勝手に捨てたり、傷つけたりしてはいけないものですね。
日蓮大聖人のお言葉の中に
「親は十人の子をば養えども 子は一人の母を養うことなし」(刑部左衛門尉女房御返事)
とあります。
何人子供がいようが両親は平等に愛情を注いでくれるのに私達は母1人すら愛情を注いであげる事はないということですね
私達って本当に身勝手だなあと思います。
年末年始は感謝を忘れて自分のお願い事してるんですもの。
年末はご自宅の前にお墓の大掃除。
年始はお願い事の前に感謝のお墓参り。
感謝で始まって感謝で終わるようにしたいものです。
と他人に言いながら自分に言い聞かせている今日この頃です
合 掌
