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副住職のつぶやき

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本年も宜しくお願い致します

2021-01-01
本年も宜しくお願い申し上げます。
いつもの口癖で参拝の方々に「明けましておめでとうございます」と言っているのですが、
本日お見えになった方に「うちは喪中でおめでたくないんです」と言われてしまいました。
口癖というものは怖いものですね。更に言葉とは怖いもので一度口から出してしまったら
無かった事にはできないもの。

日蓮大聖人のお言葉の中に
災いは口より出でて身をやぶる。幸いは心より出て我を飾る」とあります。

言葉によって人を傷つける事もできるし、喜ばせる事もできる。
本年はウシ年ですね。漢字にすると「丑」と書きます。
「紐」という意味から転じて絡まるという意味だそうです。

コロナ禍で人と距離をとらなければいけない現状ですから特に言葉が重要になってくるように思います。
相手を喜ばせたり、楽しませるような言葉を心がけて生きたいですね。

                         合掌

サンタがきた

2020-12-26
昨日、我が家にサンタクロースがきました。子供達はプレゼンとを見るなりキレイに包装された包装紙を破り捨て
中身を取り出してみると前から欲しがっていたおもちゃ。「サンタさんが来た」と大喜びでした。
始めはおもちゃに夢中でしたが時間が経つとほったらしになり、古いおもちゃの仲間入り。
あの数分はなんだったのか?と夢を見ているようです。
でも、子供が喜ぶ姿は親として嬉しい限りです。

大人になってもプレゼントというものは嬉しいものですね。
キレイな包装紙にリボンが付いている様を見るだけで中身を見なくてもワクワクしますね。
誰かの手で作られた物を誰かがキレイに包んで、友人、知人が自分に届けてくれている。
届く間に色々な人の手と思いに触れて私達に届くからこんなにもワクワクするんでしょうかね?

そんな事を感じさせていただきましたので、嫌われる勇気を持って子供達を躾させていただきました。

                        合 掌










鼻水と甘酒

2020-12-15
おはようございます。
小噺を一つ申し上げたいと思います。


 ある山寺のお檀家さんで、おじいさんとおばあさんの二人きりで暮らしている家がありました。
ある日、おじいさんが亡くなりました。
おばあさんは、お葬儀を済ませ、しばらく経って初七日の前日、ご住職にご供養のお願をしました。
「お上人、明日はおじいさんの初七日でございますので、ご供養を一つお願いしたい」
「お昼には何もございませんが、お食事を差し上げたいと思いますので、宜しくお願いします。」

翌日、住職はおじいさんの為に自宅でお経をあげました。
一生懸命、お経をあげておりますと、ご飯の炊きあがった良い香りがしてきました。
香りに誘われて、ちょっと横を見ますと、おばあさんがお釜から、オヒツに炊き上がったご飯を移しております。
 おばあさんは少し風邪気味なのか鼻をすすっておりましたが、ご飯の湯気がぱあーっと上がった途端、おばあさんの
鼻からツゥーっと鼻水がご飯に落ちていきました。
それを見た住職は「これは困ったことだ」とお経を終えると
「おばあさんや、悪いけど、さっきから急に腹が痛くてね。折角で悪いけども、今日のところは帰りますから」
とおばあさんを後にします。

「あぶない、あぶない。あの鼻水入りのご飯を食べずに済んだ。やれやれ」とお寺に帰っていきました。

 それから、二七日、三七日と過ぎていき、いよいよ四十九日になりました。
「いよいよ、明日はおじいさんの四十九日です。どうかお経をお願いします」とおばあさん。
あくる日、無事おじいさんのご供養が終わり、おばあさんがお盆に大きな湯のみ茶碗を載せて持ってきました。
「何もございませんが、お上人さんの大好きな甘酒を造りましたので、一杯お召し上がりください。」
「ありがとう。わしの大好物の甘酒を」とご住職さん喜んで一気に飲み干しました。
「おいしいなあ。おばあさんや。ところでこの甘酒はどうやってこしらえたんだい?」
「はい。実は初七日の時にお上人にご飯を差し上げようかと思いましたが、お腹が痛くてお帰りになられましたので何しろ、1人所帯でございます。ご飯が余りましたので、そのご飯で造りました甘酒でございます」

 あの初七日に逃れたはずの鼻水との縁は四十九日目に形を変えてご住職のお腹と縁を結んだのでありました。

好む好まないに関係なく、私達は「縁」によって生かされているのでございます。

                     合  掌

大きいね

2020-12-01
おはようございます。いよいよ師走に入りましたね。
一年って早いものですね。小さい頃はお正月や夏休みが待ち遠しくて仕方がなかったのですが年齢と共に
早く感じます。
一日一日大切に生きろと仏様が教えてくれている気がしますね。

先日、携帯の中を整理する為に必要なさそうなアプリ等バンバン削除しました。
その最中、懐かしいアプリを見つけました。
それは「授乳ノート」というアプリです。

これは赤ちゃんの授乳やオムツ交換などの回数を記録しておくアプリです。
長男が1歳になるまでの間、妻と協力して記録したものです。

そろそろ寝る時間なのに寝ない焦り。夜泣きで起こされてイライラ。
離乳食ひっくり返され激怒。寝顔をみて「怒るんじゃなかった」と反省などなど
色々、思い出します。

授乳回数  2060回
オムツ交換 3058回
沐   浴 370回

という数字を見ますと「親って大変だな」と思いました。
でも、自分もそうやって親や周りの人達の手を煩わせて生きてきたわけですよね。
命って勝手に捨てたり、傷つけたりしてはいけないものですね。

日蓮大聖人のお言葉の中に
親は十人の子をば養えども 子は一人の母を養うことなし」(刑部左衛門尉女房御返事)
とあります。

何人子供がいようが両親は平等に愛情を注いでくれるのに私達は母1人すら愛情を注いであげる事はないということですね

私達って本当に身勝手だなあと思います。

年末年始は感謝を忘れて自分のお願い事してるんですもの。

年末はご自宅の前にお墓の大掃除。
年始はお願い事の前に感謝のお墓参り。

感謝で始まって感謝で終わるようにしたいものです。

と他人に言いながら自分に言い聞かせている今日この頃です

      合 掌


    


一二三

2020-11-12

「昔の人はね。『ひぃ、ふぅ、みぃ・・・ここのつ、とお』って数えたものなのよ」と小さい頃に祖母に教えてもらった。

老婆心からか、成人を迎えても祖母は私に時々、教えてくれた。

それを話始めると決まって最後に

「『ひ』から始まって積み上げていって『と』で終わるでしょ。」

「『人』はね。色々な物を積み上げて『人』になるものなの」

「楽しい事も悲しい事も全部、『人』になる為に大切な事なのよ。」と言っていた。

当時は、大して気にせず聞いていたが、成人を迎えて二十年近く過ぎた今、思い出すと改めて祖母の偉大さに気付く。

お釈迦様のお言葉の中に

「諸仏の所において 大願を成就して 衆生を愍れむが故に人間に生ずるなり」(妙法蓮華経法師品第十)とある。

苦しい事も悲しい事も乗り越えて、更には衆生(生きとし生けるもの)を愍れんで人間として生を受けるのであると御教示下さっている。

人間とは色々な事を乗り越えて生きていくものであり、誰にでも慈しみの心持って生きていくものであると読み取る事が出来る。

 

「誰にでも優しくしなさい」と子供には教えてはいるのに、自分は中々出来ずにいる。

大人である私たちが襟を正すところに今、来ている。。
宗教法人 日蓮宗 昇龍山 妙宣寺
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