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副住職のつぶやき

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頭を叩かれました

2021-03-11
おはようございます。
先日、ある法話をお聞きしましたので、ご紹介します。
法話の題名は「両親を買う」でした。
とても、衝撃的な題名に驚きました。

ある施設にトモ君という男の子がいました。
トモ君は、数年前にご両親を亡くしました。
施設では時々、子供達にお小遣いを渡します。
トモ君はとても内向的なおとなしい子供です。
いつもは、先生に話しかけることはしません。
ある日、職員室に飛び込んできたトモ君。
先生に「お父さんとお母さんを買うから、お小遣いを下さい」といいました。
先生はびっくりしながらも、静かな声で「お父さんとお母さんは買えないものです」と諭します。
しかし、トモ君は引き下がりません。
仕方なく、先生はトモ君に貯めていたお小遣いを渡します。

帰ってきたトモ君の手には紙袋。
「それは何」と先生が聞くと
「お父さんとお母さんだよ」と言いながら紙袋に入っていた箱を開けだしました。
取り出したのは、何も書かれていないお位牌。
先生は何も言えなかったそうです。

トモ君はどこかでお位牌の話をきいていたのでしょうね。
今も名前のないお位牌をご両親だと言って大切にしているそうです。

私の両親の家にはご先祖や祖父母の位牌があります。
でも、トモ君のように大切にしているかと問われれば、しているとはハッキリ言えません。
私にはご戒名が刻まれた、ただの木の板ですが、トモ君には大切なご両親そのものです。

当山の本堂にもお檀家さんやご信者さんのお位牌がございます。
毎朝、朝のお勤めをさせていただいておりますが、一つ一つに対して心を込めて向き合わなくてはいけないと教えていただきました。
           合 掌





すごいこと

2021-02-28
おはようございます。今日から3月です。
新年を迎えてもう2か月が過ぎてしまいました。
私は今月のお彼岸慰霊法要にご参列いただいた方にお持ち帰りいただく事になっている御朱印を書くのに
奮闘しております。
周りからは「印刷しちゃえば」なんて言われましたが、私はイノシシ年です。
猪突猛進。1枚ずつ手書きしています。是非とも皆様、ご参列下さい。

私達が葬儀、回忌などで読むお経は、お釈迦様が亡くなられてから2500年以上が経っています。
こんなにも長い年月が経っているのに手にする事が出来るのは、お弟子さんやご信者さんのご尽力のお陰です。
そんな事を考えると「すごいことだな」と思います。
無くなってしまってもおかしくない年月ですよね?

私はお経と同じくらい「すごいことだな」と思う事があります。

それは 家族 です

人はポッと地から湧き出るわけではないですよね?
いつから始まっているのか分かりませんが現実に今、家族、そして私がいます。

長い年月の間には、きっと、ご先祖様も辛い事も悲しい事もあったでしょうね?今の自分たちのように。

「まだまだぁ」という気持ちで御朱印と向き合っています。

                                    

              合  掌

背中

2021-02-13
おはようございます。

先日、娘とお風呂に入っておりましたら娘が
「背中汚れてるよ」と言われました。
よく洗ったはずなのですが、指摘されたのでもう一度洗いました。
でも、娘は「背中が汚いよ」と言ってきました。

鏡で見たら、年齢のせいでしょうね。背中がシミだらけだったのです。
娘には説明をして納得してもらいました。

日頃、背中なんて見ませんよね。正直、シミが酷くてショックでした。

私達は毎朝、鏡の前に立つと自分の前しか映りません。
「当たり前だろ」といいますが、そうです。私達は自分の前に見える物が当然のように生きているのです。
自分の目に見える物が全てと捉えてしまっているのです。

冷静に考えてみると目に見える物が全てではありません。
コロナ禍で経済が滞って色々支障がありました。
私達の目に見えないところで、色々な人達が汗水垂らして働いているお陰で平然と生活できていた事に気付かされます。

私達はいつでも、どこでも、誰に対しても感謝を持って生きていかなくてはいけないのですね。

シミだらけの背中は四十年近く私に労われる事を望まず共に歩んできたのだと思うと、
「たまには背中を念入りに洗ってみるか」と労いの気持ちが湧いてきます。

                合  掌

ご聖日

2021-02-13
こんにちは。
今月の16日は何の日かご存知ですか?

実は日蓮宗の開祖でいらっしゃる日蓮大聖人のご降誕の日です。
ご降誕とはお生まれになられた日であります。
平たく言いますと誕生日です。

特に本年は大聖人がお生まれになってから800年の記念すべき年なのです。
全国の日蓮宗寺院では御法要が営まれております。
私も日蓮宗僧侶の端くれとしてご報恩感謝のお経をさせていただきます。

皆さんは今年で何回目の誕生日ですか?
「年は取りたくない」 「誕生日はちっとも嬉しくない」なんて聞こえてきそうですね。

私も子供の頃のように喜べなくなっているのは確かです。。。。

でも、ある人に教えてもらいました。
誕生日は父は心から祈りを捧げ、母は命を懸けた日であるという事を。
ですから、誕生日は両親に感謝する日であるという事を。

大人になると誕生日プレゼントをもらう事が少なくなりますが、命というプレゼントをいただいた事に
感謝できるようになりたいですね。
振り返ってみれば、悪いこともあれば楽しい事や嬉しい事があったと思います。
そのきっかけは全て両親の出会いに始まるわけですからね。

                   合  掌

当選番号

2021-01-20
おはようございます。
2回目の緊急事態宣言が1都3県に発令されまして更に自粛、予防に努めております。
毎年、ご縁をいただいた方々からいただいた年賀はがきと当選番号とのにらみ合いをしております。
100万分の1の一等当選を期待してはおりましたが結果は・・・切手シート6枚でした。

年賀状をいただき始めて長いのですが、なかなか当たらないものですねぇ。

あるお寺の高僧が1枚のちり紙を拾い上げて跪き「勿体ない、勿体ない」と嘆いていました。
弟子たちはその様子を見て高僧に「なぜ、たった1枚のちり紙にそこまでなさるのですか?」と聞きました。
すると高僧は「一切衆生悉仏性(いっさい しゅじょう しつ う ぶっしょう)」と仰ったと言います。

このお経文は涅槃経というお経文に出てまいります。
意味は万物に仏になる性質が備わっているという事です。

ちり紙1枚にも仏性が備わっていて尊い存在だからこそ高僧はそのように仰ったのです。
俄かに信じられない事です。

ちり紙で汚れを拭う事はできますが、鉛筆にはできませんね。

汚れを目の前にして何も持っていない時、ちり紙1枚見つけたらどうでしょう?

もの凄いお腹が減っている時に豪華なお弁当を前にして箸がなかったらどうでしょう?

ちり紙も箸も尊いと思いませんか?

本当は全てのもが尊い存在なのです。

残念ながら100万分の1には漏れてしまいましたが、私という存在は72憶分の1の尊い存在。

1等が当たらなくても、「ま、いっか」と思えて来ました。

                          合  掌









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